緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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この方、石塚三郎氏は1876年(明治9年)現在の阿賀野市保田の生まれ。1924年から衆議院議院を2期務め、歯学者であり、写真家でもあり、医学者野口英世の学友にして西武グループの総帥堤義明の祖父である。

絵葉書の写真でも胸から写真機らしきものを下げていますが、写真家と言うよりは趣味で撮っていたようです。

1958年(昭和33年)に亡くなった後、1996年に生家から発見されたガラス乾板は2,200枚にのぼり、その中から選別出版されたのが「よみがえる日本の近代(石塚三郎旧蔵 明治・大正ガラス乾板写真)」と言う写真集です。

中をお見せできないのが残念ですが、有名人から庶民まで、風景・風俗・静物等々、あらゆるものに興味を示した証が写し込まれています。中でも当時の越後の農村を写したものが私は大好きです。あとがきの解説には石塚三郎を評して「北越の素人写真家」と書いています。言わずもがな最大限の賛辞です。

鉱石運搬専用線として既に敷設されていた鉄道を視察に訪れたこの日から、およそ6ヶ月後の1925年(大正14年)11月20日、五十公野・米倉・赤谷の各駅を新設し赤谷線は営業を開始します。


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石塚三郎

(1枚目)新潟県立図書館蔵「赤谷線鉄道開通記念赤谷名所絵葉書」より。 
(2枚目)ニコンニッコールクラブ発行「よみがえる日本の近代(石塚三郎旧蔵 明治・大正ガラス乾板写真)」

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龍泉寺の上方にある大将陣場公園(通称陣場ヶ平)から、赤谷旧宿場を俯瞰したものである。

赤枠は旧赤谷尋常小学校で、大正12年(1923)赤谷尋常小学校と滝谷尋常小学校が統合し、大正13年(1924)現地点の旧赤谷小学校(現赤谷の家)に移転・改築したとの事ですから、絵葉書発行年(大正14年(1925))より間もない頃でしょう。二階屋は旧滝谷尋常小学校、平屋部分は旧赤谷尋常小学校です。

村はまだ宿場町の様相がはっきりしており、通りの真ん中は柳の並木であったと聞いています。

後方に飯豊川(加治川)の流れが蛇行し、なおその後方には私たちが「ガリバー山」と称していた扉山が聳えます。

およそ100年前の風景は、見るからにゆったりとしております。


image赤谷本村

新潟県立図書館蔵「赤谷線鉄道開通記念赤谷名所絵葉書」より。 
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