昭和30年代の半ば、我が日鉄社宅にもテレビジョンがやって来た。山間で、それまで受信不可能であったが、裏の山に電波塔が立ちテレビが映るようになった。その第一号のテレビジョンが入ったのが組合事務所である。
事務所内の畳敷き広間の床の間に、そのテレビジョンは据え置かれた。相撲取りの化粧廻しのような布を全面に垂らし、鎮座するテレビは子供にとって触れるのさえ躊躇われたものである。
事務所は浴場の直ぐ近くにあったので、風呂上がりに立ち寄る人が多かった。時は大相撲の全盛時代である。相撲放送の時間帯は洗面器を抱えた大人・子供で広間は一杯になった。今も覚えているが栃錦と若乃花の全勝対決の千秋楽は、大変な賑わいであった。やがて東京オリンピックを前に、社宅の各家々にもテレビがポツポツと入るようになり、組合事務所のテレビの役割は終わった。
当時、受信可能なテレビ局は、「NHK総合テレビ」「NHK教育テレビ」「新潟放送テレビ」の三局だけだった。必然、子供たちは同じような番組を見ていた。てなもんや三度笠・スチャラカ社員・怪傑ハリマオ・少年ケニヤ・赤影/白影・オオカミ少年ケン・隠密剣士等々、楽しかったなぁ。腹から笑えて興奮出来たあの頃が懐かしい。
事務所内の畳敷き広間の床の間に、そのテレビジョンは据え置かれた。相撲取りの化粧廻しのような布を全面に垂らし、鎮座するテレビは子供にとって触れるのさえ躊躇われたものである。
事務所は浴場の直ぐ近くにあったので、風呂上がりに立ち寄る人が多かった。時は大相撲の全盛時代である。相撲放送の時間帯は洗面器を抱えた大人・子供で広間は一杯になった。今も覚えているが栃錦と若乃花の全勝対決の千秋楽は、大変な賑わいであった。やがて東京オリンピックを前に、社宅の各家々にもテレビがポツポツと入るようになり、組合事務所のテレビの役割は終わった。
当時、受信可能なテレビ局は、「NHK総合テレビ」「NHK教育テレビ」「新潟放送テレビ」の三局だけだった。必然、子供たちは同じような番組を見ていた。てなもんや三度笠・スチャラカ社員・怪傑ハリマオ・少年ケニヤ・赤影/白影・オオカミ少年ケン・隠密剣士等々、楽しかったなぁ。腹から笑えて興奮出来たあの頃が懐かしい。