今頃の季節になると無性に笹団子が食べたくなる。日鉄に居た頃は家族みんなでその材料を裏山に採りに行った。蓬の新芽を摘み、笹の若葉を手折り、スゲを苅る。蓬と笹は女や子供にもとれるが、スゲは急な斜面に生えている為とるのは父の役目だ。父がちょっと頼もしく見える一時だ。
家に帰れば祖母と母が中心となって笹団子を作り、ついでに作ってくれた亀の形をした草団子が嬉しかった。三角形のちまきも作る。笹で作った三角の容器にもち米を入れるくらいは子供も手伝ったろうか。完成すれば、それらは窓辺に張られた針金に吊るされる。10個一束にされ並び吊るされた笹団子は、子等にとっては至福の境地である。
そしてその中から一束ずつを兄弟に分け与えられる。私らはそこから一つもぎってはポケットに突っ込み遊びに出かける。三日が経ち四日が経ち団子は段々少なくなる。兄弟にはここで性格と幼さが出てくる。たいがい最も早く無くなるのは末っ子の弟だ。そうなると末っ子の常套手段である泣きわめきが始まる。そして、かくも理不尽な一言が親から降ってくる。「お兄ちゃんなんだから一つ上げなさい!!」。あ~ぁ。
笹団子は各家庭で作っていた。したがってそれぞれに味が違う。こしあんの所もあれば粒あんの所もある。甘さも皮の感じも違い、スゲでの括り方が違う家もあった。
昨年の六月に同級会があって新発田を訪れた。笹団子が欲しくて笹団子を探し町中ウロウロした。あげく駅の近くでやっと小さな団子屋さんを見つけた。どうやらそこは笹団子を専門に作っているようだった。話好きのご主人で話し込んでいる内に東赤谷の話になり、なんとその主人の母上は日鉄に行商に行っていたとの事で、子供の頃良く一緒について行ったそうである。私の祖母は世話好きで、時折行商のおばさんを家に上げては一緒にお茶を飲んでいた。きっとその中の一人であったかもしれない。
ご主人との話も途中で電話が入り私はそっと店を出た。しり切れとんぼになってしまった話は、再び帰郷の際に確かめてみたいと思っている。
嗚呼、笹団子が食べたい。
笹の葉が団子に付かず綺麗に剥けた時、得も言われぬ幸せ感があった。
嗚呼、笹団子が食べたい。
家に帰れば祖母と母が中心となって笹団子を作り、ついでに作ってくれた亀の形をした草団子が嬉しかった。三角形のちまきも作る。笹で作った三角の容器にもち米を入れるくらいは子供も手伝ったろうか。完成すれば、それらは窓辺に張られた針金に吊るされる。10個一束にされ並び吊るされた笹団子は、子等にとっては至福の境地である。
そしてその中から一束ずつを兄弟に分け与えられる。私らはそこから一つもぎってはポケットに突っ込み遊びに出かける。三日が経ち四日が経ち団子は段々少なくなる。兄弟にはここで性格と幼さが出てくる。たいがい最も早く無くなるのは末っ子の弟だ。そうなると末っ子の常套手段である泣きわめきが始まる。そして、かくも理不尽な一言が親から降ってくる。「お兄ちゃんなんだから一つ上げなさい!!」。あ~ぁ。
笹団子は各家庭で作っていた。したがってそれぞれに味が違う。こしあんの所もあれば粒あんの所もある。甘さも皮の感じも違い、スゲでの括り方が違う家もあった。
昨年の六月に同級会があって新発田を訪れた。笹団子が欲しくて笹団子を探し町中ウロウロした。あげく駅の近くでやっと小さな団子屋さんを見つけた。どうやらそこは笹団子を専門に作っているようだった。話好きのご主人で話し込んでいる内に東赤谷の話になり、なんとその主人の母上は日鉄に行商に行っていたとの事で、子供の頃良く一緒について行ったそうである。私の祖母は世話好きで、時折行商のおばさんを家に上げては一緒にお茶を飲んでいた。きっとその中の一人であったかもしれない。
ご主人との話も途中で電話が入り私はそっと店を出た。しり切れとんぼになってしまった話は、再び帰郷の際に確かめてみたいと思っている。
嗚呼、笹団子が食べたい。
笹の葉が団子に付かず綺麗に剥けた時、得も言われぬ幸せ感があった。
嗚呼、笹団子が食べたい。