緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2009年06月

今日は熱い中ふと思い立って、東松山の岩殿観音という所に行ってきました。友達の結婚式によばれた娘にデジカメをとられて今日は携帯デジカメです。

正式には岩殿山正法寺といいます。
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私の他には誰も居ず、静かに歴史を漂わせていました。
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岩の窪みにはいろんな形の観音様が・・・・
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ずらっと並んでいました。
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ふと脇を見れば、恐そうなお坊さんが口をヘの字にして睨んでおりました。
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山門を振り返れば門前に道を挟んで家々が並び、往時の賑やかさを偲ばせます。
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静かなたたずまいにアジサイは良く似合います。
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 東赤谷で象徴的な山というと焼峰山、蒜場山、爼倉山がまず挙げられる。その一つ、爼倉山に弟のTが先月登ってきて写真を寄せてくれた。

爼倉山頂から日鉄旧社宅を望む。
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山頂より飯豊連峰を望む。
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昭和五三年当時の日鉄社宅から爼倉山を望む。中央、電信柱の後のラクダの瘤のような山が爼倉山。
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 おう、そこに居られるのは怪傑ハリマオ殿でござらぬか。サングラスがなかなか粋でござるな・・・ちと大きくて鼻にかかり頓馬天狗に似て居るのがちょっと気になるが・・・。おー、その鉄砲は銀玉鉄砲であるな。さては祭りの屋台で仕入れたと見える。

 なに!、拙者でござるか?。「この天下御免の向こう傷が目に入らぬか」。いや!、今日は隠密剣士で行こう。「これ!!、霧の遁兵衛、何をブリキで作った十字手裏剣で遊んでおる、参るぞ」。

 幼稚園(保育園)裏には何故か貨物列車の車掌車が置いてあった。きっと鉱石の運搬が蒸気機関車から電車に変わったときに、その車掌車を子供たちの遊具の一つとしてここに保存したのだろう。すぐ脇にはプールもあるし、ここは子供たちにとって人気の遊び場でもあった。

 その車掌車の屋根に登り辺りを睥睨していると、おりしも一人の少年が幼稚園の石炭小屋の上から今まさに飛び降りようとしているではないか。首からマントと思しき唐草模様の風呂敷を下げている。あれはひょっとすると少年ジェットか・・・?。下では早く飛べ飛べとはやし立てるものも居る。

 おっ飛んだ。成功かと思いきや少年ジェットはバタンと倒れ起き上がらない。どうしたかと近くに走り寄れば、倒れているのは三男、下ではやし立てていたのは二男であった。どうやら三男は石炭小屋の屋根の庇に後頭部を打ち付けたらしい。どうしたものかと思案すれば、三男ばっちり目を開け大声で泣き出した。少年ジェットは死んではいなかった。

 さぁ、そろそろ家に帰ろうか。そこの月光仮面殿、一緒に帰らぬか?。しかし、その白縁に緑レンズのサングラス、よくお似合いでござる。はぁ、自転車で帰るとな。そうでござるか、それでは御免。

 どーこのだーれだかしーらないけれど だーれもがみーんなしっている~かっ!!。

新発田の高田屋さんから笹だんごと粽のお取り寄せです。
笹だんごの餡は粒餡で爽やかに甘く、皮はもっちりときめ細かく、「えっこ、うんめがったわね」。
粽も一緒に送ってもらった黄な粉をまぶして頂きました。粽は久し振りだったのでとても懐かしかったです。

こんな箱に詰められて送られてきました。わくわくで開けました。
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中身です。袋の菱形の模様は新発田藩の溝口候の紋と思います。
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同梱されていたしおりです。
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