鉱山の採鉱現場まで行くのに父達は小さな電気機関車に牽引された「人車(じんしゃ)」というトロッコみたいなものに乗っていったのであるが、他にも保育園の遠足や飯豊方面の登山者も乗せた事があったようである。
私も高校時代に現場近くの事務所で地形図のトレースのアルバイトをした事があり、その時にこの人車に乗り通勤をした。乗り心地は決して良くなく、尻に直接振動が伝わり途中からのトンネル内では隣の人の話し声さえ聞こえない騒音があった。毎日通勤に使う父達は小さな座布団を尻につけて通っていた。
私も高校時代に現場近くの事務所で地形図のトレースのアルバイトをした事があり、その時にこの人車に乗り通勤をした。乗り心地は決して良くなく、尻に直接振動が伝わり途中からのトンネル内では隣の人の話し声さえ聞こえない騒音があった。毎日通勤に使う父達は小さな座布団を尻につけて通っていた。
写真は昭和39年の保育園の遠足時の一コマである。(ゆうぼさん提供)