緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

以後、FC2ブログからの更新になります。下記よりよろしくお願い致します。 緑の谷・赤い谷** https://yabukarasu.blog.fc2.com/

2010年06月

イメージ 1

写真は2003年頃の日鉄にあった変電施設だそうです。おそらく私の在郷時にもあったのでしょうが、残念ながら全く記憶がありません。
当時日鉄社宅では電気の使用料は無料でした。のみならず水道も便所の汲み取りも無料で、また燃料となる薪も配給でした。会社には電気工事や大工にかかわる人が専従で居て、社宅内での不具合に常に対応できるようになっていました。とにかくこの山間の一角の社宅内においては生活するに必要な最低限のものは全て揃っていたのです。
上京したての頃は、電気代やら上下水道代を思いの外取られる事に少々違和感を感じたものです。

私は日常生活している内に突如として猛烈に生まれ故郷に帰りたくなる事がある。長い時間をかけ帰っても、そこには何も無い事は分かっている。辺りをぶらつき、その内時間を持て余して帰ってくるのが落ちである。帰巣本能という言葉があるが、説明しようと思えばそんなものかもしれない。
S.Oさんも、きっとそのような思いにとらわれて社宅跡に通っていたのかもしれない。

二区と三区のあいだの道です。左手にはかつてプールがありました。正面の坂を上って右手に行けば山神様に辿り着きましたが、今は薮となっていて右手に見える丸木橋を渡っていくようです。
この二区と三区のあいだの道は当時からコンクリート舗装になっていて、そのせいもあって時が経ってもしっかりと残って居たものと思われます。(2003年頃)
イメージ 1


かつての購買所跡辺りでしょうか。私はこの何も無い雪原の中にも当時の建物や人々のざわめきを思い浮かべる事が出来ます。ここに社宅があった事を知らない人には何の変哲もない風景です。でも私やS.Oさんや、ここで育った子供たちには忘れる事のない風景なのです。(2004.3)
イメージ 2

S.Oさんの説明によれば「4区に続く階段」とあります。
私はすっかり忘れていて一所懸命記憶をたどってみると、確か発電所に続く導水管の脇にこの階段があったような気がします。そして幾度かここを登って4区に入ったような記憶があります。
イメージ 1

 日鉄社宅の山際の方に営林署が管理する小屋が一棟建っていた。私は前に思い出として記しましたが   http://blogs.yahoo.co.jp/yabukarasu/14426447.html 
ここは私たち子供の遊び場の一つでした。
 S.Oさんのご家族は当初この近くに住んで居られて、特に思い入れの深い場所であったと聞いています。

2000年初頭の3月の営林署です。
イメージ 1


2001年5月の営林署裏の杉林です。私が故郷を離れる頃はまだ若木でした。
イメージ 2


その後取り壊された営林署跡です。S.Oさんの寂しい思いが伝わってくるようです。
イメージ 3

およそ50年前のS.Oさんと日鉄社宅の風景です。
撮影場所は一区の社宅で背景に写る山は蒜場山、S.Oさんのすぐ後にある大きな屋根の建物は会館です。
季節は秋の深まった辺りでしょうか。社宅の雪囲いもほぼ終わっています。どこの長屋の前も同じようなもので手作りの物干し台や、手製のはしごが立て掛けてあり、前に開いた僅かな土地には花や野菜が植えられていました。
今見ると何となく寂寥感の漂う社宅風景ですが、S.Oさんを始め日鉄社宅の子供たちは明るく元気だったのです。

イメージ 1

S.Oさんの了解を得て写真は修正を加えず掲載させて頂きました。

↑このページのトップヘ