2010年08月30日 在りし日の東赤谷駅 柱を支える礎石や壁には自然石がはめ込まれ、丸太を利用した駅舎は何とも味のある親しみの湧く駅であった。またそれに負けず劣らず歴代駅長さんもそのような親しみのある方が勤めていらした。 (コピー写真は「赤れんが」さんの提供です) 駅長さんと東赤谷駅前 駅構内から。左側の扉が改札口です。
2010年08月23日 東赤谷の積雪 連日暑い日が続きます。そんな中少しでも皆様に涼しい思いをして頂くために東赤谷の積雪風景をお届け致します。このコピー写真は「赤れんが」さんから頂きました。 撮影位置は四区下の道路から東赤谷駅構内方面を撮っています。奥に鉱石積み込み用のホッパーが見えます。右端には車のお尻が見えており、そこから推測するにこの年の積雪はかなりあったように思われます。真ん中で雪壁の陰に屋根部分だけ見えている建物は黒崎商店です。 凄い所で生活してきたと今さらながら思います。
2010年08月16日 レストラン「赤れんが」 新発田で「赤れんが」というレストランを経営しているKさんは私の赤谷中学校時代の先輩なのですが、そのKさんから「コピーされたもので少し不鮮明かもしれませんが良かったら使って下さい」という事で幾枚か頂いたので掲載させて頂きます。 昭和五十四年四月撮影の東赤谷駅です。周りには、まだ若かりし頃の桜の木が花をたくさん咲かせています。カラーだったらさぞかし綺麗だったでしょう。皆さんの記憶の中で色をつけてみて下さい。
2010年08月09日 鉱山の夫人たち 母たち婦人会の人達は、時には夫の働く山元にも出掛け、その仕事の理解に努めていたようである。 普段は鉱員たちを山元まで運ぶ、通称「人車」と呼ばれるトロッコに乗っている婦人たち。 ヘッドランプを点けてこれから見学で坑内に入るのでしょうか。
2010年08月02日 夏の虫と日鉄の子供たち 東赤谷の日鉄社宅は、その区域から一歩踏み出せばもう自然の領域で、それゆえに子供たちを喜ばす生物が実に豊富に生息していた。夏休みに入ると私はトンボ網(子供用捕虫網)と虫かごを持って辺りを駆けずり回ったものである。でも大体は虫の種類によって出掛ける所は決まっていた。 ・山トンボ(オニヤンマ)・・・社宅の裏山の導水管跡。 ・トノサマバッタ・・・加治川沿いの野球グランド跡。 ・キリギリス・・・東赤谷駅構内のススキ野原かグランド。 ・カブトムシ/クワガタ・・・発電所の水銀灯。(早朝に行くと帰りそびれた奴がいる) ・シオカラトンボ・・・スケベ沢付近(地図参照)の田んぼ。 虫ではないが・・・ ・タニシ・・・旧赤谷温泉ホテルの庭の池。 ・サワガニ・・・鉱山電車乗り場下の小さな沢。 等々・・・・・ 虫かごは当時プラスチックなんぞというものが無かったから竹ヒゴで編んだものだった。餌はキリギリスだと裏の畑から採ってきたキュウリやナス。カブトムシだとスイカの切れ端。トンボは何故だか紫露草であった。紫露草の事を私たちはトンボ草と呼んでいた。 餌に紫露草しか与えられなかった山トンボにすれば、実に情けなくひもじかった事だろう。しかし花に囲まれて一生を終えた訳だから、人間の勝手な言い分かもしれないが、それはそれで幸せな一生であったろうと思う事にする。 キリギリスにはちょっと悲しい思い出がある。故郷の我家の前は東赤谷駅の構内だったのだが、夏の帰省の折りにそこで一匹のキリギリスを捕まえた。そいつはとても元気で良い音で鳴く。休暇も終わりに近づいて、いよいよ帰る段になって私はふと思い立ってこのキリギリスも連れて帰る事にした。 当時私は埼玉の蕨市に独り住まいをしていて、そこで故郷の余韻としてキリギリスの音色を聞いてみたかったのである。はるばる列車の旅を終えたキリギリスは私の安アパートの軒先に無事ぶら下がった。そこでも良く鳴いてくれた。独り住まいの侘びしさも慰められた。 だが、日毎に鳴く回数が減ってきて、一週間くらい経つと時折「ギー」としか鳴かなくなり、ある日会社から帰ると横たわったままとうとう死んでいた。その時本当に可哀想な事をしたと思った。何でこんなゴミゴミした町中に連れてきてしまったのだろうと後悔した。あのキラキラとした東赤谷の自然の中でずっと鳴かせてあげるべきだった。 暑い夏がやって来ると、一間の安アパートでの青春の苦味と共に、この哀れだったキリギリスの事を思い出すのである。