緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2010年09月

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この第二展望台からの写真を眺めていたら、この時この風景はどんな色彩になっていたか気になってきた。
そこでちょっと想像をたくましくして勝手に色を着けてみました。

もし私の推測した残月の図であったらこんな感じかなぁ~。
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夕日だったらこんな感じかなぁ~。
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でも見れば見るほど不思議な感じのする写真だなぁ~。ひょっとしたら、この天体物は焼き付けの段階で追加した・・・?。(うわっ、何と言う軽率な発言を・・・・^_^;)

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この絵葉書には「棚橋山第二展望台より望む」とあります。第一展望台の方は知っていたし、また実際に幾度も登った事があります。では第二展望台は何処にあったのか、またこの写真はどの方向を撮り遠方に写っている山は何と言う山なのか検証したいと思います。

まずこの写真を見た時、山の上に写っているのは月なのか太陽なのかを考えました。私はこれを一度太陽と結論付けました。月にしては周りがやけに明るいし、当時のフィルム(乾板)では月明かりでの撮影は難しかろうと思ったからです。
しかし、これを太陽とすると光線の角度が実に不自然です。朝日にしろ夕日にしろ手前の山はもっと逆光になっていなくてはなりません。そこで絵葉書と国土地理院の二万五千分一の地形図を見比べてみました。

まず第一展望台の上部から直前の山を左に見て、なおかつ展望の利きそうな所は何処だろうと探しました。そこで思い当たったのが標高371Mの三角点です。撮影地点、いわゆる第二展望台はこの地点と確信しました。そう結論付けると撮影方向は西方と言う事になります。方向が西で、この撮影条件を満たすのは朝日を背にして残月を撮ったとしか思い当たりません。

次に遠方の山は何処か?と言う事です。手前目前の左の山は474Mの標高点です。その右側を二万五千分一の地形図でなぞっていくと五頭連山にあたります。そして、その山の形から金鉢山と判明しました。

私は想像するのです。この決して上がるに楽では無い第二展望台に重い三脚とカメラを担ぎ上げ、じっとシャッターチャンスを狙っているカメラマンの事を・・・・、何日も登ったかもしれません、何時間も待ったかもしれません、昔日の風景が脳裏に浮かびます。
(地形図は国土地理院の二万五千分一を利用)

第二展望台と撮影位置
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撮影方向と範囲
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金鉢山の詳細地形図
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赤谷温泉ホテル発行の絵葉書は私が把握しているだけで、宛名面が3種類、写真面が7種類あります。以前私が入手した絵葉書については稚拙ながらも拡大したりして細部を確認致しましたが、この度「S.Oさん」入手の絵葉書についても現品をお借りして再び検証のまね事をしてみました。

赤谷温泉発行の絵葉書全部に言える事ですが、葉書に感光剤を直に塗布して現像してあるため、拡大しても今の印刷物と違いドットが見える事なく細部を観察できます。

まずこの「赤谷温泉全景の絵葉書」です。緩やかに加治川が弧を描くのは今も変わりません。下に見える道筋もほぼ同じです。左下にホテルの屋根が見えて、その周囲は森林です。やがて数年後には森林も伐採され日鉄鉱業の施設や社宅が建ち並びます。川向こうは良く見えませんが滝谷の集落とその耕作地です。

私がこの写真を見て、まず気になった事はホテルの左上に見える建物らしきものです。そこの部分を拡大してみると何と何と見晴し台(第一展望台)に建つ望楼と芸者中ではありませんか。5~6人の芸者さんがカメラに向って佇んでいます。表情までは分かりませんが、きっと精いっぱい微笑んでいる事でしょう。

そして次に気になった事は、この撮影位置です。早速地図で確認をしてみたのですが、とんでもない所から撮っています。私は子供の頃この近くで遊んでいて知っていますが、この場所は結構急斜面でしかも大変な薮です。樹木も大いに繁っていたでしょうから、たぶん大きな木に登って撮ったか周囲を刈り払いして撮った事でしょう。その根性に敬服します。撮影年は昭和5~6年頃と推測します。

赤谷温泉全景
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ホテルと望楼の拡大写真
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撮影位置。(国土地理院25000図より)
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S.Oさんから幾枚かの東赤谷の写真を戴きましたので掲載します。

赤谷線線路跡から滝谷方面
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営林署。この営林署はS.Oさんの住んでいた社宅の近くに有ったせいか、特に思い入れが深いようです。
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左上が見晴し台跡です。この道沿いにはかつて五十嵐組を始め関連会社の家屋が有りました。
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赤谷小学校への通学路だそうです。私も学校正門から登校した記憶が有りません。いつも裏側から入っていました。
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宮脇俊三と東赤谷駅長です。赤谷線廃線後訪れた時の一抹の寂しさが伝わります。
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滝谷森林公園に向う途中の橋からの風景です。加治川上流を写しているものですが、中央に見える淵では良く遊びました。
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以下の二枚は滝谷森林公園から見る社宅方面の写真です。杉林の向こうには野球グランドが有りました。私には記憶が有りませんが、S.Oさんの記憶によればこの奥に小さな社が有ったそうです。
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ご存知のように東赤谷駅はスイッチバックの駅でした。この写真は今まさに折り返して再び駅付近を通り、新発田方面に向う蒸気機関車C11 245号の姿です。嬉しいかなこのC11 245号は神奈川県の鵠沼運動公園で「しおかぜ号」と名前を変え大切に保管されていると聞きました。いずれ逢いに行こうと思っていたのですが未だ果たされてはおりません。(写真は赤れんがさん提供)

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