緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

以後、FC2ブログからの更新になります。下記よりよろしくお願い致します。 緑の谷・赤い谷** https://yabukarasu.blog.fc2.com/

2012年11月

赤谷線を走る[C11 245]のオレンジカードです。

撮影時期は昭和30年初頭くらいでしょうか。

撮影場所を当時のことを思い出しながら色々と考えました。

まずカードには「赤谷線(赤谷ー東赤谷)を走るC11」とありますから、赤谷と東赤谷の間に間違いはありません。その間で両脇が樹木であい路、そして勾配がきつめの所というと赤谷方面から走ってきて発電所を過ぎ、東赤谷駅にさしかかる辺りと思われます。あと50mも走ると右前方に東赤谷駅の駅舎が見えるはずです。

赤谷線でここが最後の難関です。ここを過ぎると列車は一旦東赤谷駅を通り過ぎ、平地になった先の方から折り返して駅のホームに進入してきます。いわゆるスイッチバックというものです。

目をつぶれば私は蒸気機関車「C11 245」の乗客になることが出来ます。赤谷線の左右の風景、機関車のいななき、煙突からモクモクとあがる煙の石炭臭までよみがえるようです。
イメージ 1

紅葉の渓谷を撮影していました所、突然に変なやつが現れまして、そのびっくらこいたことといったら思わず腰が抜け気絶してしまいました。
気がつけば辺りはただ、水の流れ落ちる音と葉末を揺らす風の音ばかりでありました。
イメージ 1

私は手に穴の空いた鍋をぶら下げていた。

2区の外れに鋳掛屋さんがあって、そこに行って穴の空いた鍋を直してもらうよう母親に言いつかったのである。

鋳掛屋さんと言ってもそれが本職ではなかった。もう定年も過ぎたであろう七十近い位のおじいさんであった。

すぐ直るからというので、小屋の端っこで私はその仕事を見ていた。

穴の大きさを見定めたおじいさんは、おもむろに鉄の鋏で鋲らしき物を掴むとそれを熱し、素早く取り出すと鍋の穴に当て、カンコン、カンコンと叩きだした。

どれくらいの時間で叩き終わったのかもう記憶が定かではないが、そんなにも待っていなかったような気がする。

帰り道、出来上がった鍋を眺めてみると、鋲の頭が上下に丸くツブされて鍋の穴はしっかりと塞がっていた。

今思い浮かべてみると、当時社宅には色々なことを得意とする人が住んでいた。

傘の骨接ぎをする人。大工仕事のうまい人。ラジオの修理が出来る人。等々。

何か困ることがあると、みんな助け合って生きていた。

あんな雪深い山の中の社宅であったけれど、生活していくには十分な気心が人々にはあった。

↑このページのトップヘ