♪♪♪
ブンチャッチャ ブンチャッチャ
空にさえずる 鳥の声
峰より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
♪♪♪
ブンチャッチャ ブンチャッチャ
空にさえずる 鳥の声
峰より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
♪♪♪
ここまで読んで思わず口ずさんでいる人・・・・あなたは立派な昭和の人です。
そう、この歌は通称「ジンタ」と呼ばれる楽隊曲で、「美しき天然」という曲歌です。
昭和40年代くらいまでは、街の中でよく聞かれたものですが、今やさっぱりと聞こえなくなってしまいました。
そう、この歌は通称「ジンタ」と呼ばれる楽隊曲で、「美しき天然」という曲歌です。
昭和40年代くらいまでは、街の中でよく聞かれたものですが、今やさっぱりと聞こえなくなってしまいました。
商店街の中やパチンコ屋の前で、チンドン屋がこの曲を奏で練り歩き、
そして、サーカスの楽団員は天幕の中で流麗にこの曲を演奏し、人々を引きつけ、興奮のるつぼに取り入れて行くのです。
そして、サーカスの楽団員は天幕の中で流麗にこの曲を演奏し、人々を引きつけ、興奮のるつぼに取り入れて行くのです。
シバタサーカスは日本でも屈指の大サーカスでした。
私も幼少の頃、弟と二人、叔母に連れられて行った記憶があります。
東赤谷駅から赤谷線に乗って、新発田の御諏訪様の境内に張られた新発田サーカスを見に行きました。
私も幼少の頃、弟と二人、叔母に連れられて行った記憶があります。
東赤谷駅から赤谷線に乗って、新発田の御諏訪様の境内に張られた新発田サーカスを見に行きました。
今でも一番鮮明に覚えている光景は、大きな円球の中でグルグルと高速で走り回るオートバイの演技です。大きな爆音と、タイヤで円球がきしむ音、逆さまになって演技者が落ちないかという恐怖感・・・・弟と二人興奮して見ていたのを覚えています。
サーカスも終わり、叔母は境内の出店で、兄弟二人にゴムで空気を送るとピョンピョンはねるカエルのおもちゃを買ってくれました。
さてそろそろ帰ろうかと新発田駅に向かう途中で、気がつけば弟が居ません。
若い叔母は私の手を引きながら必死に探しました。
その後、叔母は自力で探したのか、人に尋ね歩いて聞いたのか忘れてしまいましたが、弟は新発田警察署脇の側溝でゴムのカエルを泳がせていました。
さてそろそろ帰ろうかと新発田駅に向かう途中で、気がつけば弟が居ません。
若い叔母は私の手を引きながら必死に探しました。
その後、叔母は自力で探したのか、人に尋ね歩いて聞いたのか忘れてしまいましたが、弟は新発田警察署脇の側溝でゴムのカエルを泳がせていました。
子供の頃、何かいたずらやいけないことをすると、祖母に「サーカスに売られるよ」とか「サーカスにさらわれるよ」とか言われ、そしてサーカスでは「毎日毎日体を柔らかくする為に酢を飲まされるのだよ」と聞かされることがありました。子供心にサーカスは楽しい反面、怖い面をも持っていました。
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大天幕の前には、今か今かと観衆が入場を待っています。天幕の右には新発田銀映の「君の名は」の映画ポスターも見えます。
正面上に楽団員も揃い、演技が始まります。演技は女子団員による足での壷回しや、傘回しのようです。
アシカの演技。左端にはあのバイクがグルグル回った円球が見えます。
象さんの演技ですが、5頭も居たのですね。びっくりしました。
シバタ大サーカスは1963年(昭和38年)、日本の高度成長始まりのさなか解散します。
動物たちは当時あった月岡温泉動物園に引き取られ、団員は各地に離散していきます。
動物たちは当時あった月岡温泉動物園に引き取られ、団員は各地に離散していきます。
写真はトーマスさんのアルバムから。