子供の頃、カンテラはまだ身近なものだった。カーバイトのツンとした鼻を突く匂いもまだ残っている。そのカーバイトから発生したガスの燃えた灯りは、何か頼りない光であったと記憶している。
当時はそれで何とも思わなかったが、今大人になって炭鉱や鉱山の仕組みを知るにつけ、あの暗黒の地底の中で、父たちはよくもまあこんな乏しい灯りと共に一日中坑内仕事をしていたものと、畏怖の念とともに感謝の気持ちでいっぱいになる。
この昭和26年当時の赤谷炭鉱においては、まだカンテラが主流だったと思うが、東赤谷の日鉄赤谷鉄鉱山においては昭和30年代の中頃迄にバッテリー式の電気ヘッドランプになったと思う。父たちが山元から帰ってくると、鉱山専用電車乗り場の脇にあった充電器に、それぞれのバッテリーをセットしていたのを覚えている。
その後不要になったカンテラは子供の良い遊び道具になった。カーバイトは水に入れてブクブクするのを楽しんだり、発生するガスを推進力とした船を造ったり、水を底に溜めた大きめの竹筒にカーバイトを入れて発生したガスを爆発させ大砲として楽しんでいた。今思うと何とも危険な遊びをしていたものである。
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