緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2013年11月

子供の頃、カンテラはまだ身近なものだった。カーバイトのツンとした鼻を突く匂いもまだ残っている。そのカーバイトから発生したガスの燃えた灯りは、何か頼りない光であったと記憶している。

当時はそれで何とも思わなかったが、今大人になって炭鉱や鉱山の仕組みを知るにつけ、あの暗黒の地底の中で、父たちはよくもまあこんな乏しい灯りと共に一日中坑内仕事をしていたものと、畏怖の念とともに感謝の気持ちでいっぱいになる。

この昭和26年当時の赤谷炭鉱においては、まだカンテラが主流だったと思うが、東赤谷の日鉄赤谷鉄鉱山においては昭和30年代の中頃迄にバッテリー式の電気ヘッドランプになったと思う。父たちが山元から帰ってくると、鉱山専用電車乗り場の脇にあった充電器に、それぞれのバッテリーをセットしていたのを覚えている。

その後不要になったカンテラは子供の良い遊び道具になった。カーバイトは水に入れてブクブクするのを楽しんだり、発生するガスを推進力とした船を造ったり、水を底に溜めた大きめの竹筒にカーバイトを入れて発生したガスを爆発させ大砲として楽しんでいた。今思うと何とも危険な遊びをしていたものである。

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原動所のモーターによって
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原動ドラムは回り
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索道を動かします。
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掘り出された石炭は山元の検炭場から
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赤谷駅前の投炭場に運ばれ貨車に積み込まれます。
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また、赤谷駅の貯炭場に隣接する製材所からは
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坑道に使用する木材が山元に運ばれていきます。
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掘り出された石炭はこのように索道で鉱山から赤谷駅側の貯炭所に運ばれます。
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赤谷駅での石炭の積み込み作業風景です。
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この絵葉書は1925(大正14年)発行の絵葉書ですが、この当時の貯炭所は赤谷駅からおよそ0.5Km赤谷本村寄りの不動橋地区にあったようです。
1925(大正14年)というと、赤谷線の開業が同年11月ですから、この写真の撮影時にはまだ開業していなかったかもしれません。
輸送手段は牛馬のようですが、この先は近くを流れる加治川の舟運を利用したのか、あるいは福島潟まで運びそこから舟運を利用したのか、既に開業していた羽越線新発田駅まで14Km余りをこのまま牛馬で運んだのか、いずれかと思いますが分かりません。(新潟県立図書館蔵)
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中央の高い建物は赤谷炭鉱の貯炭場と積み込み場。その隣に停車中の蒸気機関車と、その貨物と客車。
客車の側の建物が国鉄赤谷駅の駅舎です。
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停車中の蒸気機関車は「ハチロク」と愛称された内の「88626」です。
ウィキペディアによれば、製造年は1925(大正14年)で、製造会社は「汽車製造」だそうです。
石炭積み込み場では、貨車に積み込み作業中のようです。
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撮影年は、1951(昭和26年)頃と思われます。

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