緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2014年12月

今住む所に「キィーン」とか「カァーン」とか言う擬音の似合う空気の透明感は望めない。

機関車の「ポッ」と短い汽笛は、一瞬にして山あいの社宅を包み込み、遥か飯豊の山並み迄も越えて行きそうである。

今年は、これが最後になると思います。一年間ありがとうございました。

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東赤谷、日鉄社宅の雪景色です。昭和30年代の撮影と思われます。
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写真提供:菊池さん

今年の新潟地方は例年になく早くからの大雪で心配している。私の故郷の東赤谷でも、かつてとんでもない大雪で悩まされた事が何度かある。

この写真は、その豪雪時の日鉄赤谷鉱業所社宅の棟割り長屋を撮影したものである。平屋建てであったので軒まで雪に埋まり、表に出ているのは屋根だけだ。

ハシゴは既に用をなさず、煙突だけが住む人の様子を伝え、人々が通う生活の道は左端にわずかな窪みとなって跡を残している。

奥に俎倉山が見える。その頂から見れば、単に雪野原が広がっているだけに見えるだろう。
私は住む人々の逞しさを感ぜずにはいられない。

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写真提供:菊池さん。

旧東赤谷駅の痕跡を訪ねてこられても、今や何がなんだか分からなくなっているので、その探索の一助として新旧比較図を作成してみました。
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追記
赤谷線が飯豊方面に延びているような記入をしてしまいましたが、地図から出たあたりで止まっています。
道路だけが続いております。

国土地理院WEB地図及びGoogle地図参照。

私は今迄いったい幾つの笑顔をもらったのだろう。これから出会う笑顔もあるだろうし、忘れて記憶から消えて行く笑顔もあるだろう。

考えてみると人生で一番笑顔をもらえるピークは赤ん坊の頃かもしれない。その後その人の生き方にも依るが段々と少なくなって行くのではないだろうか・・・・。

そんな消えかかった幼い頃にもらった笑顔の中に、いまも鮮烈に残っている笑顔がある。その人は機関車の運転台の上からすっと手を差し伸べて、私の手を握り上に引き上げてくれた。若い機関士だった。笑顔のきれいな人だった。

東赤谷駅の構内は私たちの遊び場の一つだったから、その日も友達と連れ立って遊びに行ってみると、ちょうど機関車が給水中だった。おそるおそる近づく私たちに気がついた運転士は、給水中で暇なこともあってか私たちを手招きし乗せてくれたのである。

運転台に入ってみると、運転席に座っている運転士がもう一人居て、その運転士が天井からぶら下がっている取っ手のついた紐を引かせてくれた。「ボォーッ」と山あいに大きな音が響いた。後で幼い友達は言った「汽笛を一発鳴らすといくらするろか?」。もう一人の友達は言った「1億円はするろ!」。

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(19) 終端の車止めが見える。
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(20) ここから見る東赤谷駅の風景が一番好きだった。
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