日鉄社宅は、ほぼ四方を山に囲まれているのですが、その山の代表格として近しいものから上げれば「焼峰山」「俎倉山」「蒜場山」と言った所でしょうか。
すぐの背後には「棚橋山」がありましたが、あまりに近かった為か私たちは単に裏山と呼んでいました。「棚橋山」と名前があるのを知ったのは、後年故郷を離れてからのことでした。
「焼峰山」と「俎倉山」は学校の集団登山の対象になっていましたし、「焼峰山」に至っては校歌の歌詞にも出てきて特に近しく感じていましたが、「蒜場山」はその奥が窺い知れず、一種畏敬の念を以て眺めていたような気がします。
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一区のほぼ全景と会館や選鉱場が写っています。右奥の山が「蒜場山」です。昭和40年後半あたりの撮影と思われます。
提供:菊池さん。