旧日鉄社宅より南東方向500メートル程の所に、「すけべ沢」という沢あり。その名の謂れは知らず。
わたくし考え得るに・・・
一つは、人の名前がついた。飯豊川で言えば、孫衛門沢とか清十郎沢とか文平沢のようにである。であるからして「助平」というマタギか何ん人かの名が着き、それが「すけべ」になった。
一つは、人の名前がついた。飯豊川で言えば、孫衛門沢とか清十郎沢とか文平沢のようにである。であるからして「助平」というマタギか何ん人かの名が着き、それが「すけべ」になった。
一つは、あの沢で何らかの「すけべ」と言われ、その名が着いても仕方が無いような行いがあった。それを後人が正式の名があったにもかかわらず、「すけべ」な沢と言い習わしてしまった。
一つは、沢の形状がいかにも「すけべ」と言い切ってもおかしくない風景を醸し出していた。あるいは以前あの沢の周辺はポカリと開け、小さな田んぼがあったりしてたが、男女が山仕事の帰り道にその気になりやすい場所であったとか・・・。
まあ大体こんな所かと思わるるが、わたくしとしては是非とも二番目の事例を最大候補に上げたい。いかにもおおらかな村人が好む所の淫靡な香りがして神秘性もあるではないか。
「かあちゃん、すけべ沢に行ってくるね」「すけべ沢かい!、気をつけて行っといで!!」。通常の会話では、母子でなかなか「すけべ」なぞという言葉が平気で出てくる事は無い。そういった意味で、あの「すけべ沢」は非常に貴重な存在だったのである。
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あれだけ清らかに糸を引くように流れ落ちていた沢は、この様な哀れな姿になってしまいました。近くの田んぼは荒れ野と化し、周りは鬱蒼とした杉林になっていました。
本当は日鉄の桜の写真を載せたかったのですが、盛りはとうに過ぎ、枝に数輪の花を残すのみとなっていたため諦めて、裏山を散策中に出くわした「すけべ沢」を題材に致しました。これもまた、かつての日鉄の住人の皆様には懐かしい所ではないでしょうか。
平成27年4月26日撮影。
平成27年4月26日撮影。