緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2015年09月

このオート三輪、まさに現代の子供用の三輪車を大きくしてエンジンを付け、それに運転席と荷台を取り付けたようなものであった。

ご覧のようにハンドルは輪ではない、三輪車そのもののハンドルである。方向指示器は、写真ではハッキリと分からないが、オレンジ色の先の尖った矢印状の棒を、手動で上げ下げしたような記憶がある。

なぜ、そのような記憶があるかというと、運転席に幼き日に一度乗せてもらったからで、荷台の鉱石の金臭い匂いとともに、あの時の情景がよみがえるからである。

写真を見ているうちに、エンジンのバタバタとした音までよみがえってきたようだ・・・・。

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昭和30年代も初めの頃と思われます。
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写真提供:ggさん。

髪を梳き、鼻筋にお白粉を引き、唇に紅を差したのは、お母さんでしょうか・・・おばあさんでしょうか・・・。

男の子には青い半てん、女の子には赤い半てん、豆絞りの手ぬぐいをキリリと巻いてくれたのは、お母さんでしょうか・・・おばあさんでしょうか・・・。

さぁ、お隣のおばあさんもお姉さんも一緒に・・・お父さんが撮ります。

今日から日鉄赤谷の秋祭りです。一年で一番、社宅の賑やかになる時です。

辻辻に子等の手書きの灯籠が立ちます。神輿を引く紅白の手綱には一年で一番可愛い子供たちが手を添えて、ワッショイワッショイと社宅中を回るのです。

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観月橋を渡り、これから四区に入ろうとする神輿。
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神輿の出発地である幼稚園広場に集まる子等と人々。
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提供:kikuchiさん。

掲載する写真は昭和20年代中頃の大会風景です。私も赤谷中学校の在校時(昭和30年後半)に、この大会に参加する級友の応援に行った事があります。

大会の行われた場所は、新発田市内の本丸中学校でした。飯豊川の川原を切り開いた赤谷中学校のグランドと違って、きれいな上にとても広いグランドでびっくりしたものです。

級友は赤谷中学校においては、ダントツの早さを持つ男子でした。しかし、この大会で他の中学生と走ってみれば惨敗でありました。悔しいと言うより唖然としたものです。

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場所は加治グランドとありましたが、現在の位置は確認出来ません。
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選手の入場時か退場時か分かりませんが、先導の女子学生をはじめ、選手のほとんどが裸足です。私も中学生の頃は裸足が多かったですが、今の中学生が見れば異様に見えるかもしれませんね。
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提供:トーマスさん。

ふる里に帰る度に、相対さずにはいられない。語ること無く、ただぼーっと眺めているだけで良い。それだけで胸の奥から湧き出てくるものがある。喜びとも悲しみとも懐かしさとも違う、ふつふつと湧き出て来たものは、やがて体の隅々にまで行き渡る。ジーンとして、これが原始の幸福感ではあるまいかとふと思う。

焼峰である。生まれついてより春夏秋冬、朝に夕に眺めた山である。

石川啄木は歌う。
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

そんな啄木の気持ちが少しわかったような気がする。

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よく見れば林のなかに山道が見える。焼峰も撮る位置により少しずつ山容を変える。これは社宅より1キロほど飯豊よりか・・・?。
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写真提供:やまともさん。

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