緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2016年02月

インフルエンザが流行っている。職場でも家庭でも入れ替わり立ち替わり熱を出し寝込み、そして会社を休み学校を休む者が出ている。
昔は風邪という事で一括りにされていたのだろうが、当時からやはりインフルエンザというものがあったのだろうか。

流行り病という事であれば、社宅では何度か赤痢(疫痢)が流行った事がある。誰々さんがなったとか、誰それの子がなったとか、我が親も戦々恐々としていたのを覚えている。

そしてずいぶんと両親は気をつけていたのだろうが、とうとう中の弟が罹ってしまった。何が原因で罹ったのか両親は大分考えていたようで、その結果は発病した前日に食べていたブドウという事に結論が至った。その親の出した結論に従ったのか、弟はそれ以来ブドウを口にする事が無くなった。

その時から両親は、特に母親は敏感になった。ある年の夏、赤痢が再び流行り始め、それを知った母は小学校帰りの私を東赤谷の駅頭で待ち構え、引きずるように診療所に連れて行き、懇意の看護婦さんに何やら話したかと思うと、その看護婦さんはいきなり私のズボンとパンツを降ろし屈むように指示すると、尻の穴にガラス製の試験管の口を突っ込んだ。

どうも母は人知れず検便をさせたかったようなのだが、有無を言わさずされたこちらは堪ったものではなかった。その時、私はちょうど便意をもよおしていたのである。言わずもがな検便には必要以上の便が試験管につまり、辺りには大いに異臭が漂った。

その後帰りしなに母にウンコを我慢していた事を伝えると、母は「早く言いなさいよ!!」と怒った。そんな暇があるものかと口答えした私に、母は無言で私の手を引いて歩くばかりであった。

今日はまた幾度目かの歳を重ねる。故郷の先輩が次のような詩を教えてくれた。
山静似太古(山静にして太古に似たり)
日長如少年(日長くして少年の如し)
本当に少年の一日、一年は長かった。今はあっという間に一年が過ぎてしまう。

母は生前、私の生まれた時の事を幾度となく話してくれた。
首にへその緒が絡んで仮死状態で生まれ、産婆さんが赤ん坊の私の足をつかみ逆さにして尻を三度叩いたら泣き声を上げたとか。
その日は雪がしんしんと降り、また積もり。その中を親無しっ子の父が、親代わりであった本家の爺様に生まれた報告をするため、まろび転びつ社宅唯一の電話器まで走ったとか。まぁ、とにかくこうして記憶に残るくらい話聴かせてくれた。

産婆さんの名前は、斉藤コイさんと言った。社宅で生まれた私の世代の前後何十人かは、この産婆さんの取り上げのはずである。おそらくベビーブームの真っ最中であるから、大変に忙しかったと思う。私が故郷を離れるまでご健在で、確か上京の際には暇乞いに行ったと思う。丸い眼鏡をかけた優しいおばあちゃんであった。

ふる里を思うとき、社宅を囲む美しい山河は固より。ふと自然にそれに連なって、産婆さんの、あの優しい笑顔が浮かんでくるのである。

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