緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2016年11月

あえて撮影場所は記しませんが、この地に縁のある方は、かつて目に染み込んだ風景ではないでしょうか。私たちの住まいしていた故郷は、今年も錦秋の季節を迎えました。

色とりどりに美しい景色は、かの地に生まれ育った幸せを、改めてしみじみと思い起こさせます。

2016年11月9日
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2016年11月13日
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写真提供:角瓶28号さん

現在は舗装されていない道を探す方が大変であるが、昭和の30年代頃はあらかたが砂利道であった。

私の通った赤谷中学校までも大小の石が顔を出し、かつまた大小の水溜まりが点在する1里近くもある砂利道が続いていた。

雪のある5ヶ月余りは当然のことながら、2年生の頃までは通年徒歩での通学であり、3年生あたりになって自転車通学が許されるようになった。

とにかく赤谷線の脇を通る道はひどいもので、自転車のタイヤは頻繁にパンクし、その修理も最初の頃は父の手を煩わしていたが、そのうちに自分でもできるようになりはしたものの、作業の面倒くささに慎重に自転車に乗るようになった。

この坂の途中には先の尖った石が顔を出し、この先のカーブを曲がると道は柔らかだが水溜まりが多く、その水溜まりを最初は右に次は左に・・・と、毎日の通学の中で道のコースどりを自然と覚えていったものである。

いま思い起こしてみれば、あの頃の道は何と表情があったものだろうと思う。

顔を出している石の形、水溜まりの大小と位置、車の轍と真ん中に残る野草・・・、走って転べば傷は大きいし、雨の日には泥んこになる・・・、それでもこうしてあの頃の砂利道を懐かしく思うのは、ただ単に歳とったせいばかりとは言えないと思うのだが・・・・。

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