以前に東赤谷駅の便所の男子用は陶製で足を乗せる台も陶製と書いたが、今思い返してみると、それは思い違いで、4・5人横に並んで用を足せる一面の仕切りもないコンクリートのものだったような気がする。
 先の陶製のおしゃれな便器は、診療所のもので有ったような記憶が湧いてきた。
 とは言え、東赤谷駅の便所は戸建てのしっかりしたものであったのは間違いがない。

 ここで話が変わるが、「便所」という文字をこの所ほとんど見かけたことがない。駅でもショッピングセンターでもコンビニでも公園でも・・・全部と言って良いほどピクトグラムである。いわゆる絵文字なのだ。
 このままでは「便所」は死語になってしまうのではないかと余計な心配をしている。
 この「便所」という文字をないがしろにし始めたのは日本の高度成長時代と言われるあたりからではないかと考える。
 「便所」のことをおしゃれに「W.C」だの「おトイレ」だの「お手洗い」だの「化粧室」だのと言っている内に、いつの間にやら絵になってしまった。要するにこれは団塊の世代に大いに責任がある。
 「便所」という言い方を、用をたす場所の基本用語とすれば、前記以前は「御不浄」「雪隠」「厠」「憚り(はばかり)」などと言っていた。おそらく今の若者には通じまい。だが団塊近辺世代までの人には通じるはずである。
 現に都会暮らしの経験があった私の祖母は、街中で人に「便所」の位置を聞く場合には「はばかりはどちらでござんしょ?」と妙にヘンテコな山手言葉を使っていたのを記憶している。

 大きく話は脱線してしまったが、東赤谷駅の便所は懐かしい。春には脇に植えられた桜が綺麗だったし、花壇も駅員さんの手入れがよく行き届き、とりどり花が咲いていた。

最後に便所の中に貼ってあった俳句を紹介しよう。
「朝顔の 縁に落とすな 玉の露」

かつての東赤谷駅の便所
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