緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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2018年04月

角瓶28号さんに赤谷駅の桜の写真も送って頂いたのですが、それを見ているうちに一緒に写っている松の木がどうにも気になって・・・、何が気になっているかと言えば、これだけの大きな松の木が昔からあったことに全く記憶が無いからなのですね。

それで過去の赤谷駅の写真を探して見たのですが、赤谷線廃線前の営業していた頃の写真を見てみると、なんと松が無いのです。この松は赤谷線の廃線後、赤谷駅の保存とその整備の際に植えられたものと考えます。

頂いた今年4月20日の旧赤谷駅の写真。
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松の部分写真。
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昭和61年(1986)6月の赤谷駅。松は植えられてまだ間も無いのでしょうか、しっかりと支えられています。
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昭和52年(1977)4月の赤谷駅。松はありません。ちなみに赤谷線の廃線は、昭和59年(1984)3月です。
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しかしまぁ、松はたくましく育っていますねぇ。桜と違って、これからまだ何十年、あるいは百年単位で残っていくかもしれませんね。
いずれ旧駅舎も無くなって、桜の木も無くなって、ただこの松だけが赤谷駅の証を残していくことになるでしょう。

旧県道を社宅4区に向って。左側に我が家はありました。
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今の観月橋。この橋のたもと、ちょうど写真の中央付近に黒崎商店はありました。
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観月橋の4区側から東赤谷駅方面を見ています。
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観月橋の下を流れる川ですが、かつては石垣で整備されていました。自然の川に還ってしまいましたね。
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かつての事務所跡。上段の平らな所に建っていました。
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老いた樹体に細々と咲いている様は、その生命力もさることながら、返って悲哀を感じさせます。
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また、荒れ野に咲くキクザキイチゲも、かつての繁栄を知る私には美しさの陰に、他に湧き上がる感情があるのです。
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写真提供:角瓶28号さん

今年も角瓶28号さんから東赤谷の桜の写真を送っていただいた。
すでに枯れてしまった桜もあり、年毎に樹勢が衰えるばかりだが、それでも衰えた体に新しく伸ばした細い枝もあるようで、そこにもたくさんの花を付けていたそうです。

桜とともに迎えてくれるのは、いつに変わらぬ焼峰です。
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東赤谷駅の便所脇にあった桜です。
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社宅1区の中程からです。
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右側の数本の桜は完全に枯れました。
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旧県道を新発田方面に向かって。真ん中奥の桜は職員用共同浴場側にあった桜。
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心なしか細い枝が増えたような気もします。ガンバレと声をかけてあげたい。
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花の付きは往時と比べれば、やはり衰えが見えるかな・・・。
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写真提供:角瓶28号さん

孫の通う小学校は、来月には早くも運動会らしい。
私たちの頃は、運動会といえば秋と決まっていた。小学校の単独行事と言うよりは、集落こぞって老若男女あげての一大イベントであった。

行う競技にも結構興奮したのを覚えている。棒倒し・騎馬戦・部落対抗リレーでは、普段大人しい子供でも興奮し、声を張り上げていたものだ。
パン食い競争も、さまざま趣向を凝らし難関さを増した障害物競走(安易なものは今もありますが・・・)も大いに楽しかったが、どれもこれも今は無くなってしまった。

それにしても、一等賞・二等賞・三等賞の賞品はいつ頃から無くなったのだろう。

私は小学生の頃は体が弱くて足も遅かった。足の速い子の賞品を見ては、とても羨ましく思っていたものである。
それが中学校に進学して片道4キロ近くの通学路を通っているうちに、自分でも驚くくらい丈夫になり足も速くなり、ついに念願の一等賞の商品をもらうことが出来た。本当に嬉しかった。

それは母親もそうだったらしく、遺品整理の時、茶箱の中から古いアルバムと共に出てきたのが、紛れも無い赤谷中学校の運動会でもらった賞品の大学ノートであった。

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ちょっと曇り空で色の冴えが少々足りませんが、うかうかしていると春さんがどんどんと先に行ってしまいますので、何か焦る気持ちが湧き、御近所をひとまわり。

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春よ!!、少しはゆっくりと歩いたらどうだ・・・・、クァ~ツ。
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