昭和36年(1961年)9月16日の朝に高知県に上陸した第二室戸台風は佐渡沖を経て、その日の夜には津軽海峡西方に達した。
新潟市では21時過ぎに最大風速30.7m/s、瞬間最大風速44.5m/sを記録し、私の住んでいた東赤谷の日鉄社宅も激しい西向きの風に晒された。
私の家は4軒棟割長屋の西側にあり、強い風をもろに受けた西の壁は、風の息に合わせて、その度に大きく膨らんだことを今でも鮮明に覚えている。
ちょうどその頃、さらに飯豊川の上流にある日曹集落は、西方に空け狭まった飯豊川渓谷に沿っての風が、強力に吹き抜けていたのである。
●最も西側にある社宅。屋根が飛ばされている。
●中央の建物は所長宅で校庭に面しています。西側が開けているせいか、門扉は壊れ危険な状態です。
●建物は集会所。地面には飛ばされた物が散乱し集会所も痛み、その前を人が避難中なのか走っています。
●かなり危うい状態です。背景の草がビョービョーとなびいています。驚くことに撮影者は強風の最中にいます。
●同じく集会所。左側が西向き。今にも建物全体が飛ばされそうです。
●飛ばされた屋根の応急処置でしょうか。
●ブランコをよく見れば、皆違う方向に揺れていて、まだ強い風が吹いていることが分かります。その中で屋根の修理が進みます。
●東方のしっかりした会社施設のある上流集落へ子供達の避難が始まります。皆白い命綱を握りしめ、大人たちに囲まれ必死の行動です。背景に写る草木は強風に揺れています。
●下流集落のグラウンドから上流集落に抜ける道に入ろうとしています。上流集落までは崖沿いの狭い道を、およそ300メートル進んで行くしかありません。強風の中、みんな駆け足での避難です。
●台風一過の翌日でしょうか・・・、倒れた電柱の代わりに立木を利用しての復旧工事のようです。
●中央の建物は所長宅で校庭に面しています。西側が開けているせいか、門扉は壊れ危険な状態です。
●建物は集会所。地面には飛ばされた物が散乱し集会所も痛み、その前を人が避難中なのか走っています。
●かなり危うい状態です。背景の草がビョービョーとなびいています。驚くことに撮影者は強風の最中にいます。
●同じく集会所。左側が西向き。今にも建物全体が飛ばされそうです。
●飛ばされた屋根の応急処置でしょうか。
●ブランコをよく見れば、皆違う方向に揺れていて、まだ強い風が吹いていることが分かります。その中で屋根の修理が進みます。
●東方のしっかりした会社施設のある上流集落へ子供達の避難が始まります。皆白い命綱を握りしめ、大人たちに囲まれ必死の行動です。背景に写る草木は強風に揺れています。
●下流集落のグラウンドから上流集落に抜ける道に入ろうとしています。上流集落までは崖沿いの狭い道を、およそ300メートル進んで行くしかありません。強風の中、みんな駆け足での避難です。
●台風一過の翌日でしょうか・・・、倒れた電柱の代わりに立木を利用しての復旧工事のようです。
撮影:松岡 勇
参考:新潟気象台(過去の災害)
参考:新潟気象台(過去の災害)