2019年03月26日 赤谷線の車窓から 赤谷線が廃線となって35年になります。月日は経ちましたが、今でも目をつむればあの頃の車窓からの風景がまざまざと蘇って参ります。 親指と人差し指でスプリング式の重いレバーを挟み、それからまたまた重い車窓を持ち上げれば、風はビュービューと髪を分け、目を細めるのでした。 幼い体と手には、車窓を上まで上げる力はありませんでしたが、ピースの空き箱で作った風車を回すのには充分な風でした。 窓から入ってくるのは山の清らかな風ばかりではありません。時には機関車の煙突から吐かれた煙が入って参ります。その鼻に酸っぱく目に滲みる感覚は、今でも目鼻に残っています。そして煤煙とともに目に入った石炭殻のゴロゴロとした痛みも・・・。 ●山内付近を赤谷に向かって走る汽車から・・・、多分機関車はC11でしょう。 ●加治川と内之倉川の出合いです。本来ここより上流を飯豊川と呼称しておりました。復活を強く願っています。 山裾を直線に伸び、内之倉川を渡っているのは、飯豊川第二発電所の導水管です。 撮影:松岡 勇さん 撮影年:昭和30年代
2019年03月19日 雪残る故郷の山々 昨日(18日)は新発田の空も珍しく春霞みもなく晴れ渡り、故郷の山々が一望に見渡せたと角瓶28号さんが画像とともに教えて下さいました。 ●西新発田から見る、どでんと構えた二王子岳です。左奥には飯豊連峰の主稜線が望めます。田圃の向こうに見えるのはマツキドライビングスクール、かつての西新発田自動車学校だそうです。級友のほとんどはここに通ったはずです。とても懐かしいです。 ●赤谷方面を望んでいます。右が蒜場山、左が焼峰山です。たまらなく郷愁に誘われます。 撮影:角瓶28号さん
2019年03月18日 春色を迎えに・・・ 昭和30年代、新発田界隈の住人に花の名所はどこか?・・・と尋ぬれば、まずその十中八九ならぬ十が加治川堤の桜と寺尾農園のチューリップと答えるだろう。 この時、鉱山という無機質な感じを受ける彼ら彼女らの住まいする所は、未だ雪が残り白と茶の段だら模様の中にある。 ●かつて世界一と言われた加治川堤桜。一面の花吹雪、やがてこの川の水を生む君たちの里にも春が来る。 ●寺尾農園のチューリップ。遊園地が併設されていて、私も両親・兄弟とのただ一度の家族旅行はここだった。 撮影:松岡 勇さん 撮影年:昭和30年代
2019年03月11日 豪雪に働く_採鉱水源と採鉱斗槽 掘り出した鉱物を精製して出荷する迄には、大量の水が必要とされます。鑿岩機しかり、選鉱場しかり、精製分離しかり・・・。 たとえ気温が氷点下を下回ろうとも、凍ることなく通水させなければなりません。そして絶える事なく湧き出でる水源は、大変貴重で重要な場であったことは想像できます。 ●送水管は、それこそ野を越え山越え谷を越えといった感じで、保守点検は大変であった事が伺えます。 ●元ネガに「採鉱斗槽」との書き込みがありました。斗槽とは大きな水槽のことらしく、おそらく選鉱され粉砕された鉱石を分離精製する場所と思います。人物脇の雪に埋もれた建物がそれで、後ろの大きな建物は集鉱槽と思われ、下部は選鉱場と繋がっていたようです。 撮影:松岡 勇さん 昭和30年代