焼峰山の南面から飯豊川本流に流れ落ちる大きな沢に、ウジノ沢と袖ノ沢があります。
その袖ノ沢出合から、やや上った飯豊川右岸にある台地を袖ノ上平(袖上平)と呼び、そこから左岸に渡る吊橋が袖上橋です。かつてはこの橋の付近に日鉄鉱山専用線の鉄山駅がありました。橋を渡れば簀立沢を経て簀立沢鉱区に至ります。
前回の猿橋は、飯豊山への登拝や湯ノ平温泉への湯治の人々が明治以前江戸期より利用していたと思われるのに対し、袖上橋は鉱山開発のための橋と考えられ、明治以来3度目の開発着手になる昭和13年7月から昭和14年5月の日鉄赤谷鉱業所の設立を経て昭和15年4月の採掘開始までの間に架橋されたのではないかと想像するのです。(参照:日鉄10年史)
●昭和24年発行「日鉄十年史」より。
●これも昭和20年代の写真なのですが、背景に写る貯鉱槽の姿が違います。よく見ると上部に構造物が増築されているようです。(この貯鉱槽に関しては、後にもう少し調べたいと思います)
●袖上橋付近には貯鉱槽は2棟あったようです。こちらは架線の向きからして日曹飯豊鉱山用の貯鉱槽かもしれません。昭和30年代の撮影。
●昭和40年頃の写真です。仕事を終えた後なのでしょうね。父も居ます。
●昨年、平成18年の撮影です。迂闊にも今回改めて確認したのですが、よく見ると塔(タワー)だけではなく、下部に橋桁らしい構造物が見えます。私は知らなかったのですが、後年、吊橋から丈夫な橋に建て替えられたのかもしれません。(行って確認したい・・・)
写真提供:2枚目_ゆうぼさん。3・4枚目_松岡 勇さん。
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