私は常々、昭和の東赤谷にはどれ位の人たちが住んで居たのだろうか?・・・という事にモヤモヤとした思いを持っていた。
東赤谷といっても、それはほとんど日鉄社宅の人口で、その地に18歳迄しか住んでいなかった私には、そこに何人の人々が暮らしていたのか?などとはチョッピリとも考える余地はなかった。
ところが先日、昭和36年の東赤谷における中学生徒数は56名であったという記事に触れ、ますます当時の東赤谷の人口が気になってきた。
私はブログの「はじめに」という見出し記事に「多い時には700〜800人が住んでいたのではないだろうか」と社宅棟数や当時の思い出を元に書いていて、実は、このいい加減な算定をした事がモヤモヤの原因であったのだと今気が付いた。
そして改めて調べ直してみると、関する記事が見つかった。
昭和25年、北蒲原郡赤谷村の全村人口は4,262人。
昭和30年に新発田市に編入された後の、
昭和40年、旧赤谷村における同区域人口は2,769人で、その内訳は
上赤谷〜1,095人、滝谷〜340人、滝谷新田〜552人、日曹飯豊〜266人、東赤谷〜516人でした。