緑の谷・赤い谷*

新潟県にかつてあった鉱山の記録と周辺の昭和の記録と・・・お散歩。(旧名「猿と熊の間に」)

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カテゴリ: ふる里の山河

赤谷から加治川治水ダムに至る県道滝谷上赤谷線の途上に、この連続したトンネル(スノーシェッド)はある。かつての東赤谷集落から、およそ2キロの地点より4つのトンネルが連続して続く。最近それが「すごい産業遺産」として雑誌にも取り上げられ、単にトンネルとかスノーシェッドと言われていたものが「東赤谷連続隧道」といういかにも興味を引きそうな名で呼ばれているのに驚いた。

その「東赤谷連続隧道」の補強工事が今年始まり、そして10月1日に終わったというので兄弟旅行のついでに寄ってみた。

隧道は東赤谷寄りを第一隧道とすると第一と第四が短く、中の第二と第三が長い。この度はその第二と第三隧道の現状を撮ってきた。

一番痛みの酷いのは第三隧道で、その分補修部分も目立っていた。だがしかし、あの痛み様からすればそれも致し方ない事なのかもしれない。最小限の補修に留めたのだろうという思いは伝わった。反面、これからも補修は続き、趣を残しつつ手を入れて行くのは難儀な事だろうとの想像はつく。皆さん見学に行くなら早いうちですよ。

●第二隧道です。
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●第三隧道です。

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●天井にはこのように修理箇所を記したものと思われる所がいくつもありました。黒い部分はかつて蒸気機関車の煤煙が付けたものですが、まともに修理をしたら無くなってしまうでしょう。歴史を感じ、また趣を醸し出す大事な痕跡ですが、この後どのような変遷をたどるのでしょうか。

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表書きに文面を書くのはいけないことではありますが、兎にも角にも暑くてたまらないので、皆様お見舞い申し上げます。

描かれているイラストを推察するに、手前のダムは「飯豊川第一ダム」で現在は取り払われた上部のゲートが描かれています。(かつてウジノ沢を遡行した時、帰りにここを歩いて渡りました)

次の吊橋は「袖上橋」で、奥に描かれている建物は三代目の「湯の平温泉小屋」です。

そして眺望される山は、左から「北股岳」「蒜場山」「俎倉山」の三山と思われます。

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あっ、川は当然のことながら「飯豊川」であります。

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当時のことを思えば、赤谷地区周辺の小・中学生で焼峰山に登った事のない児童はいなかったと断言できるくらいに焼峰山は人気の山だったのですが、下越地方あるいは新潟市周辺においても焼峰山は大変に人気のある山でした。
駅からのアプローチ、手頃な高さ、山頂からの眺望、変化のある登山道、そして何より標高の割に雄々しくて美しい山容は登山者を惹きつけるものがありました。
現在はもう赤谷線も廃線となり登山者も稀になったようですが、その山麓に生まれ育った私にとっては焼峰山は特別な山であり、帰郷の際に仰ぎ見れば瞬時に時間は遡り、えも言われぬ幸福感に包まれるのです。

●時期としては5月から6月にかけてと思うのですが、まだまだ沢筋にはたくさんの雪が残っています。服装も装備も靴も今の私たちの目には実に大胆に映ります。(その分、とても自由であり楽しさが伝わってきます)
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●焼峰山山頂。あまり広い山頂ではないのでひしめき合っています。
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●山頂よりの眺望。飯豊川(加治川)が蛇行している上の台地が日鉄赤谷鉱山の施設・社宅群のあったところです。
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●飯豊川第一発電所です。下山して来ると、ここに下りてきます。吊り橋からの撮影ですが、下の河原にも登山者がたくさんいます。かなり揺れる吊り橋だったので画像もブレていますね。(残念ながら現在この吊り橋はありません)
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撮影:松岡 勇さん
撮影年:昭和30年代中頃
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ふる里に帰る度に、相対さずにはいられない。語ること無く、ただぼーっと眺めているだけで良い。それだけで胸の奥から湧き出てくるものがある。喜びとも悲しみとも懐かしさとも違う、ふつふつと湧き出て来たものは、やがて体の隅々にまで行き渡る。ジーンとして、これが原始の幸福感ではあるまいかとふと思う。

焼峰である。生まれついてより春夏秋冬、朝に夕に眺めた山である。

石川啄木は歌う。
ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

そんな啄木の気持ちが少しわかったような気がする。

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よく見れば林のなかに山道が見える。焼峰も撮る位置により少しずつ山容を変える。これは社宅より1キロほど飯豊よりか・・・?。
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写真提供:やまともさん。

かつて東赤谷に在った、赤谷温泉ホテルの第一展望台(通称見晴し台)からの展望です。

一枚目の写真は昭和39年(1964年)7月の撮影、二・三枚目の写真は平成27年(2015年)4月の撮影、その時の流れは51年を数えます。

日鉄鉱山専用線のスノーシェッドは消え道路となり、変わらずにうねうねと飯豊川沿いに伸びています。

しかし、何と言っても杉の木が育ちました。手前の視界は遮られ、右上の送電線の鉄塔もずいぶんと隠れています。さして変わらぬと思っていた故郷の山河も、半世紀という時の流れを経て、このように変わっています。

はて51年前、15歳の私は、どのような思いでここに立ち、山河を見つめ、この一瞬を切り取ったのでしょうか。重畳として続く山並みの向こうに、何が在るのだろうと思った事は確かです。

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見晴し台やや上部より。
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